地方の遊牧民は減り続けているとのことでした。
宮脇淳子著「モンゴルの歴史」を読みましたが、内容が膨大でとても一度で理解したり覚えたりはできません。ただ印象に残っていることをいくつかあげてみます。
遊牧民は末子が相続し、長子から順に外に出される習慣。このため時として骨肉の争いが起こることがある。フビライとその孫の時代頃まではヨーロッパ、特にロシアやウクライナ、一部フランスまで支配していた。モスクワの基礎を作ったのはモンゴル人。
中国は大きく分けて漢人、満州人、モンゴル人が支配してきた。随や唐も北方民族。ほとんどの王朝がモンゴル人と満州人が漢人を支配していた。しかし漢人の耕作地が次第に北方に広がり、牧草地が必要なモンゴル人の勢力が減退。満州人と漢人がモンゴル人を支配するようになった。
フビライの元寇は2度あったが、3度目も準備されていた。しかし実行前にフビライが死んで中止になったと。
以上、私の理解が間違っているかもしれませんのでご容赦を。
TVドラマVIVANTも見ました。放映時は知りませんでしたので、Netflixでみました。
いくつか気になる矛盾点はあったが、一生懸命作ったのは分かります。まあ、努力賞ですね。帰国後シーズン2が始まったようです。
最後にノモンハン事件に着いての書籍2冊。1939年に起きた事件、現地ではハルハ河戦役と呼んでいます。当時のモンゴルと清国の国境を巡る争い。実質ソ連と日本の戦い。事件と呼ぶには大きすぎる戦争です。両者併せて2万人もの戦死者を出しています。元はといえば当時の国境を書いた地図が10種類以上あり、どれをもって国境とするが合意が無かったので双方相手が国境を侵したと思ったことが原因。そして日本兵は強く勇敢だったが、
作戦を立てる参謀が能力不足。さらに日本軍中央は中国との戦争で手一杯で、ソ連と事を構える木が無かったのに、現地の参謀が勝手に戦闘を広げてしまった。しかもその後参謀は責任をとらず、現地司令官に詰め腹を切らせる。まあ、現在の日本にも通ずるものがありそうです。
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